2010年10月14日

川端裕人氏発表

PTAの活性化によるコミュニティ・スクールへの道は可能か?

作家・公立小学校PTA元副会長
川端 裕人

 僕はPTAと関わりまして、長男が中一なんでかれこれ7年目。割とコミュニティ志向で、地元・地縁大好き、子縁大好き、にもかかわらずPTAの運営に大いに疑問を持ってしまったがゆえに、矛盾を自分の中に抱えてしまい、いろいろ取材をして雑誌に書いたり新聞に書いたり本を書いたり講演をしたりしつつかなりPTAについて濃厚な時間を過ごしてきました。本部役員経験も一年と半分くらいあります。

 PTAの活性化によるコミュニティ・スクールへの道は可能か? というタイトルをとりあえず書きました。これは、新しい公共宣言の中に出てくる言葉をそのまま採っているんですね。それなりのアイディアが公共の円卓会議にはあった、実際にあるという風に認識しているんですけれども、現状のPTAのまま活性化してもむしろ悪手であろう。末恐ろしいものがあるという話を今します。

 現状のPTAの問題点というのは本当に沢山あると思うんですけれども、義務的な参加が定着し、みんなやらなきゃいけないものと思っていて、事業の整理が本当に困難です。例えば、なんとか委員会の名前を変えるだけ、広報誌の名前やロゴを変えるだけで、1時間2時間語り合うなんて恐ろしく非効率なことがよくある。
価値観・ライフスタイルの多様化にかかわらず参加が義務化されているために、やっぱりいろんな軋轢が生じる。僕はそれをPTA悲劇と呼んでいますけれども、これをPTA被害というふうな強い言葉でいう人もいます。いずれにせよ、僕はこれはかなり人権問題的なレベルまでに達しているケースが全国津々浦々であるんじゃないかと想像していますし、沢山耳にしています。

 ところが、PTAを経験した人が地域社会の諸々の役割の担い手になっている、PTAはその苗床になってきたというのは間違いなく事実です。それはPTAのいい所なのかもしれない。但し、PTAの諸々の問題点を克服して自分でなんとかそこでサバイバルできた人たちのみがそこに巣立っていく。ひょっとしたら極端な話、目の前で起きている人権問題に無関心であれた人が生き残れたのかもしれない。或はそれに心を痛めながら、自分がなんとか頑張れば、他の人が楽になるんだっていう気持ちで役員をやり続けた人もいることを知っています。けれども、巣立つ人たちよりも、もっと多くの意欲のある人を学校から遠ざけているのも事実。今のPTAでサバイバルできるある特定の傾向を持った人だけを地域社会に供給し続けてしまう問題点があると思っています。

 何故こんなことを考えるようになったかということなんですけれども、自分の体験だけでなくていくつか調査があります。まず、2009年5月に産経新聞で出たPTAアンケート。655名だけの回答で、おまけにインターネットで募ったものなんで、どれほど信頼性があるのか分らないですが、PTAは必要と思うという人が58%。子どもの教育や親にプラスだと考えた人が52%。組織改革を何か行うべきだっていうのが実に95%に達したと。
 いずれにしろ、これはネットアンケートです。参考程度に、ということで次に進みます。

 教育支援協会が文科省の委託事業という形で採った2009年のアンケートは、回収が3285枚で役員経験者630枚と、かなり本格的なものです。そこで「PTA組織が必要だと思いますか?」といいますと65%の人がイエスと答えた。

 でも委員会未経験者に「引き受ける予定ありますか?」って聞いた所、「積極的に引き受ける予定がある」が8%、「なにか事情が有ればやりますよ」みたいなものを足しても過半数満たないくらい、っていうふうな結果。

 さらに委員会経験者向けに「委員を引き受けてどんな良かったことがありますか?」って聞きますと、トップ2が「学校の様子がよく分った」と、「知り合いが増えた」。これ分る気がします。で、同じく、「困ったことはなんでしょう?」と聞いた所、「時間のやりくり」と「人間関係」がトップ2に出てくるんですね。

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(※ご覧になり易いPDFはこちらにございます。)
 駆け足ですけれどもまとめます。「必要である」が65%いるのに、委員を引き受ける予定のある人が8%しか居ない。何らかの事情があれば36%の人が引き受けてもいいと考えていると答えているんですが、まあ、これは必要とされているのと実際にやろうという人の間に非常にミスマッチングがある。何でここまで大きな差が出てきちゃうんでしょうか。

 引き受けてよかった理由として「学校のことが分った」、「知り合いが増えた」と、それぞれ3割以上の人が言っている訳ですよね。これは非常に大事なことです。僕もこれ、PTA活動を通して、実際に知り合いは増えました。学校のことも以前より分る様になりました。ただ、丸くなり過ぎちゃったところもあって、逆に反省する所もあるんですけれども。こういうスクール・コミュニティを作って行くっていうところで或る一定の効果があることがここで良く分ります。

 でも、一方で大変だったことっていうのが、時間のやりくり54%、これは委員経験者に聞いてますので、いわゆる本部役員、会長・副会長・書記・会計っていわれるような人たちはもっと大変な筈です。もっと苦労していると思います。あと、人間関係は18%。これは、人間関係の調整っていうのは誠に難しい、それが顕著になるのがPTAだっていうのが本当に良く分るんですね。で、引き受けて良かったことと大変だったことっていうのの、大変だったことの方がより大きいから、上でいう究極のミスマッチングが起こるのだろうと、簡単に僕は考えます。

 じゃぁ、時間のやり繰りが大変ってどのくらい? っていうのは個人的体験を話します。不思議なことにPTAこれだけ大変大変って言いながら定量化しようとした人がこれまでいなかったんですね。自分は副会長をやっていたんですけれども、毎日毎日メモを取って何時から何時まで校外の会議に出て、何時から何時までは学校で打ち合わせして、っていう風な記録をとりました。ここに出ている数字っていうのは、家の外に出て、会議に出るとか話し合いに出るとか、行事に参加した時のものです。で、家に帰って来てから、こういう企画はどうだろう、こういう事をやったらどうだろうみたいな企画書を一所懸命書いていたんですけれど、それは一切加えてありません。あと委員や役員をやったことある方だったらご存知でしょうけれど、「誰それさんがこんなことを言ってくるんだけれどどうすれば良い?」とか電話がかかって来るんですね。それがふと気づくと40分も50分も下手すりゃ1時間も話すことになるんですけれども、そういうのも入ってません。
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 で、実際に年間で166日間何かの行事や会議に出て行く日があって、そして403時間もそれに拘束された、と。2学期の辺り、これ赤で書いている部分が2学期なんですけれど、行事が多いからやっぱり大変なんです。学校行事に連動してPTAも協力するものですから。運動会には、運動会係があるから役員は暇だろうと思もっていたんですが、決してそんなことは無くて、当日忙しい運動会係が『先に場所取りしていいかどうか問題』を延々と話し合わなくちゃいけなくて、副校長からも「そんなの勝手に決めてよ」とか言われちゃうみたいな、そういう風な悲しい経験もあったりします。行事が増えると、事務局の機能も大変になって行きます。

 自分の役員生活の話に戻りますが、これまぁ、凄い大変な秋だったんです。2学期には34日週末、つまり土日があったんですが、その内17日にPTAに出なきゃならず、2週連続土日が潰れたことが2回ありました。つまり4連続で土日に出ている訳ですね。
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 これは決して、珍しいことではなくて、今のさっきの表と、このへんの周りの予定表を見せた人たちで、「え〜っ!」って驚いた人は役員経験者では少ないです。殆どは「ふん、ふん、」っていいます。で、これよりも多かったっていう人も居ます。これまで、1人だけ、私は100時間で済んだって言った人を知っているんですけれども、そこはPTAをサークルで回しちゃうっていう、面白いとこなんです。

 以上、ひと言でまとめますと、激務です。子どもたちのケアや自分の仕事に大きな穴が実際にあきました。特に2学期は健康にも影響したと思います。PTA依存ともいうべき心理状態になったような気もします。つい不安になって学校に入り浸りしてしまったり。人間って、自分がやっていることって否定したくないんですよね。PTA活動について「無理めの前向きな肯定感」みたいなものを抱いていました。それが結果的に現状を温存するようなメカニズムに直結するんだなあ、と感じました。
 僕は、自分が執行部にいる時に、PTA悲劇が起こらないように十分努力したいと思ったんですけれども、やっぱり自分もそれに加担しているんですね、後から考えてみると。自分が頑張れば頑張る程。自分が何か議論をすれば、それだけで誰かを傷つけたり、誰かが否定されたと思っちゃう。そうすると自分も削られるし相手も削られるっていうすごく厳しい現場になっちゃうんです。

 だから、僕は本当に少なくとも変えようといういろんな努力をしたんですけれども、本当に変えるんだったら一気に! マイナーチェンジはむしろ現状を下支えしちゃうなぁ、と今は思っています。本当はやりたくないのに、義務としてのみ参加するんだったらむしろ逃げ切る方が誠実かもしれないと考えるようになりました。

 取材して本を書いたり、PTA研修の講師なんかも経験させていただいて、おそらくは100校を超える学校のPTA役員さん、あるいは一般のPTA会員さんと話をする機会を得て来たんですけれども、自分が体験したり目の当たりにしてきたことは、全部あちこちで起こっているんだなぁ、っていうふうに思いました。「あなたが言っていることは絶対に違う」っていう人にはこれまで1人も会ったことは無い。で、逆に「はじめて言葉にできてよかった、」と言ってくれる人の方が多い。
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 こんなPTAが活性化すると、コミュニティ・スクールに繋がるのか? 余りにも無理があります。今だって活性化しているんですよ。これだけ忙しくてみんな働き蜂のように働いているPTA。活性化にも程があると言いたい。

 実をいうと既に多くの改革が試みられています。
 みんな業務が多いから大変だと思っているんですね。じゃ、それを皆で分担すればいいじゃないかっていう発想に行くんです。

 たとえば、一人一役制、全員に役割を割り振る。という制度なんですけれども、これを僕の知っている或る会長さんが10年位前に導入したんですね。で、その会長さんが、この前、ひさしぶりに学校に尋ねて行ったら、一人一役も最初の内は上手く回っていたんだけれど、最近では役に就いているのにそれでも逃げ切る人が出てきてしまったので、残念ながらペナルティを課す事にした。「その人たちに何させるの?」って聞いたら、学校の掃除に使う雑巾を供出せよ、と。実際、雑巾出してくるらしいんですけれども、その雑巾っていうのは最近はみんなダイソーで買ってくるって言って嘆くんです。で、それを聞いた元会長さんは、その瞬間に目の前が真っ暗になって、皆が気持ちよく、やりやすいように活動に参加しやすいように始めたことなのにこうなってしまうんだな、人を追い詰める仕組みっていうか、人に不信を植え付けるようなものに変質して行ってしまうんだなと、絶望してしまったというのを聞きました。

 あとポイント制度っていうのは、ご存知の方もいると思うんですけれど、役員やったら何点とかポイントを付けていって卒業するまでに何点貯めましょうね、という制度です。でもこれも結局やりたくない人とか、やらない理由がある人は、確信犯でやりませんから、僕の知っているあるPTAでは、半分達成者は名札に銀のシール、全部達成した人には金のシールを貼り付けようって議論していました。幸いそれは却下されたらしいんですけど、それだけで2時間紛糾したそうです。っていう風に、どんどん・どんどんキツクなって行きます。これも活性化案なんですよ。

 学校運営協議会委員の保護者枠にPTA会長を任命するケースが極めて多いと思うんですけれども、ここまで多忙を極めちゃっている人たちに、学校のガバナンスの勉強をあらたにせよって言ったって無理です。多分効果的なガバナンスが出来てくるのっていうのは、よっぽど恵まれたところだけだと思います。

 結局活性化っていうのは何なんだろう? という部分で僕は疑問を持つに至ってしまっています。PTAって、学校に保護者が関わる唯一無二の道なんでしょうか? 全員参加を前提としたPTAは凄く不自然で、もっと多様な関わり方を含めての活性化だったら、いいなと思う訳なんですね。

 誰もが下を向く役員選びの「無言地獄」と僕は呼んでますが、これは人生最悪の非民主的会議体験です。こういう会議っていうものを当たり前のように体験した大人たちが、どういう風な社会を担っていくんだろうかって、PTA会員って常時1千万人いるんですからね。直接携わっている、お母さんだけってカウントしたとしても。夫婦で両方をカウントしたら2千万人がPTA会員だっていう現実の中で、この無言地獄・非民主的会議体験っていうものは我々の社会に深い深い刻印を押してしまっているのではないかって懸念します。

 そこで僕は、今年実験的にPTA会員を辞めてみました。今、会員じゃ無いんです。それで初めて気づいちゃったんですけれど、新年度に保護者会有りますよね。僕はPTA会員ではないので、委員決めになると出て行ってくださいって排除されちゃったりするんですね。その時に、はっと気づいたんですけけれど、新しい先生のこと知りたいのに先生の自己紹介と学級運営の方針の説明がわずか5分。「その後委員決めに何時間掛かった?」って友人に聞いたら「2時間掛かった」そうです。担任と保護者の間のファーストコンタクトである新年度の保護者会っていうのはこんなんじゃいかんだろう。もっとちゃんとみっちり話して、お互いの信頼感を増した方が教育効果は上がるだろうな、なんて思っちゃいました。

 あと、悲劇の話もしますと、『仕事は理由にならない』っていうのは最早常套句と化していますし、介護・病気やプライバシーの問題を半ば強制的な雰囲気の中で「私はこうだからできない」って言わなければいけない。そしてその中で、特に僕が特に心を痛めているのは、メンタルな病気です。目に見えないものですから、診断書出せって言われる人いるんですよ。それどころか、言われる前に自ら診断書持ってっちゃう人すらいるんです。っていうくらいの大きなプレッシャーを主に母親に与えているっていうような現状。
 さらに、会長や校長からのパワハラも起こりえます。意を決した退会者の子供が差別を受けることもあるようです。そういうのはよく善意の形を取るんですね。「あなたが辞めるとあなたのお子さんが差別されないか心配だな」とか、「そうなっても私達は責任を取れない」と役員がいうとか、善意の形を取りつつ、実は脅迫みたいな状況。

 僕はここで声を大にして言いたいんですけれども、日PをはじめいろいろなレベルでPTAの連合体の活動は、見直すべきです。これまでいろいろなレベルで連携ですとか、社会調査ですとかをして来ている訳ですね。日Pなんかですとテレビの『見せたくない番組』を毎年発表して、新聞紙面を賑わせます。けれど、そういったことを、頑張るよりも、PTAっていう団体で普遍的に起こっているこういったことと真剣に向き合ってくださいませんか?それやらないと、集まっている意味無いよ、って僕は思います。ほんと、人権擁護の観点からヘルプデスクを設置して欲しいくらいですね。ちゃんと法律の知識が有ってメンタル方向の知識もあって、なおかつ社会教育団体の実際にも詳しい人に相談するなんて一つの学校のPTAの限られた組織では出来ないですから。ある程度スケールメリットを見込める連合体でこういったヘルプデスクの設置をすべきなんじゃないかと本気で思ってしまいます。

 何故、現状になってしまったかという一つの原因として、本部役員の50%が入退会の自由の事実を知らないことがあると思います。教育支援協会の調査なんですけれども、一般会員ではなくて役員経験者が知らないんですよ、本部役員が知らなければ、もうしょうがないですよね、一般会員が知るはずも無い。で、PTAは任意なのにほぼ全員が入っている理想的な保護者団体として扱われちゃっている。非常に困ったことです。

 実をいうとこの辺、文科省も気づいてくれているようで、平成22年4月26日に事務連絡が出ています。PTAは任意の団体なので文科省が特にああやりなさい、こうやりなさい、なんていうことができるはずがないし、しちゃいけないですね。でも文科省は優良PTAを表彰するという仕組みを持っている。じゃあ、どういうPTAを優良PTAと認めるかっていうような段階で、今年こういう風な通達が。『PTAが任意の加入の団体であることを前提に、組織運営や活動内容の工夫をしている団体を適切に評価してください』と通達されました。ですから、これから表彰されるPTAは全て任意の団体であり、自由な入退会が出来ることを、ちゃんと会員が知っているところが表彰される、筈なんです。
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 が、何かあの、すばらしく執念がある人が居て、一所懸命全都道府県の教育委員会・教育庁に電話してくれました。さっきの事務連絡は都道府県レベルに宛ててますが、それを市区町村の教育委員会に送っているか。青が周知している。水色が送っている。で、赤は、ダメですね、送付に消極的。こういう風な色分けができました。周知している青は素晴らしい。でもなぜか市区町村の教育委員会に、事務連絡を送らないんですね。PTAは任意の団体なんて当たり前なんだから送らないっていう風な意味だそうです。だから、あの、水色の送っているっていうところが増えたらいいですね。
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(※Think!PTA!より)

 結論として、今の日本地図なんかを見ても、文科省は知っているし、各都道府県・市区町村の教育委員会とか知らない訳ないんです。大抵社会教育関係の主事さんが居て、PTA担当者になってますので、知らない訳は無い。で、保護者だけが知らないんです。ここで、どんどん一人一役とかポイント制などとか導入されて違う方向に進んで行ってしまう。で、こういう風にPTA悲劇が繰り返されていく。

 僕はそれで、個人的に『PTAサークル化計画』というのを提唱しております。任意の加入・退会の自由をちゃんと周知しよう。必要な委員会って、結局学級PTAだけじゃないの? 学級で話し合いが持てれば他の事ってその次の問題だよね、と。
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 例えば広報委員会とか家庭教育委員会とか文化教養委員会とか、いろいろあるんですけれども、希望者が居なければ今年はお休みって腹を括っちゃっていいじゃん。広報誌が無くたって家庭教育学級が無くたって、急に子どもは不幸にならない。校外委員会のパトロールも有志に任しちゃっていいじゃん。安全神話が崩壊したなんて言われますけど、日本は未だに世界中で最も安全な国の一つです。小さな子どもが害を加えられるのは、肉親・知人の方がまったく知らない不審者よりずっと多いです。パトロールやっている暇があったら、家庭のコミュニケーションを大事にしようよと心底思います。

 PTAはまず、クラスごとの担任教師と保護者の共同体として機能させようよ。そこから、コミュニティって始まるんじゃないの? みんなにプレッシャー与えて、むしろ学校から遠ざけちゃうよりも、みんな来やすくて、そこに暖かいコミュニティがあって、クラスの子どもたちを見守れるっていうところから始めようよ。正直学級委員すら出ない場合もあるかもしれない。そうしたら懇親係くらい決めて、PTAの運営委員会に欠席しちゃったっていいじゃない。ここまで来たらなんか、学級PTAではなくて、学級保護者の集いって言っちゃったって良いかもしれないですけどね。

 役員すら空席で良いんじゃないかと僕は思っています。事務局機能だけが有れば良い。つまり、会長・副会長はいらないということです。会計と書記さんがいれば、後はいいよ。それさえ選べなないんだったらば、資産を整理して一旦休眠しても構わないんじゃないかな。お金、持ち過ぎているPTAは、逆にそれに縛られます。代表者が居なければP連もお休みになりますので、とても楽になりますよ。更に自分の子どもの為になるサークル活動してみたら? 学級通信サークル、読み聞かせサークル、陶芸サークル、美術サークル、何でも良いんです。そこからコミュニティが始まったらそこから学校に保護者を呼び込むことが出来て、スクール・コミュニティや学級コミュニティが出来て、さらに広がっていくものがあるだろう。っていう風なことをPTAに悩んでいる人に、『PTAサークル化計画』として提唱しております。

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 今終りマークが出ましたんで、ここから先は午後のディスカッションで言いますが、今のこの時点で僕の結論は、私達の明日の社会の為に──
 PTAはモデルチェンジできますか?それとも、一旦やめる?
 です。
≪拍手≫

フォーラム PTAは「新しい公共」を切り拓けるか(2010/08/07)
posted by pomo at 22:48| フォーラムの内容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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